冷静に考えると大抵のことはどうでもいい

色々悩んでいても、ふと冷静に考えてみると大抵のことがどうでもよかったという気持ちになる。
物事は本来シンプルなのに自分で勝手に難しくしているのかもしれない。
例えるなら、白米に自分でふりかけかけたりしてるというか
一本の糸を自分でぐちゃぐちゃにして、何本もあるかのように錯覚してるというか。。
上手く表現出来ないが、何かを犠牲にしてまで貫き通すべきだったものなんて
ほとんどなかったのではないかと思う。『それ』を後生大事にしていた理由も
突き詰めていくとシンプルな白米…もとい答えというか本来の想いが
ふりかけ(受け売りだがエゴ?)の間から顔を覗かせるのかもしれない。
善かれと思って味付けしすぎて、自然の優しい味を忘れてしまったのかもしれない。
刺激的で口あたりの良い、人工の添加物まみれなのかもしれない。
シンプルなものを、自分で難しくこねくりまわして何となく賢く生きている気になる。
後になって振り返ってみると、それほど重要じゃなかったのに
『それ』を忘れてしまった自分の代わりに後生大事にして必死に守っていたのかもしれない。
自分一人ではどうにもならない現実に疲れて、やけ酒をしているのと同じなのかもしれない。
自己陶酔とはよくいったものだ。これも受け売りだが、まさに酔っぱらっているのかもしれない。
そうやって次の日には二日酔いになり自己嫌悪。しかし、また繰り返してしまう。
やめられないとまらないとめてほしい。アル中を治すのは難しい。
けど、自分が治したいって思って意識すれば、少しは変化してるのかもしれない。
一回は考えるのをやめてみるのも良いかもしれない。
現代人は忙し過ぎて、何もしない時間が足りないのかも。
心にゆとりが必要なのだろう。元祖ゆとり世代の自分が言うのは滑稽かもだが(笑)
たまにはニート気分で難しいこと考えずゴロゴロして美味しい物食べて
ハッピーラッキーな笑顔になるのもいいかもしれない。
同じ現実逃避でも酔っぱらうよりはマシであろう。
やめられないとまらないは、かっぱえびせん程度に止めておきたいものだ。
そんな自戒を胸に刻みつつも、そう上手く行かないというか
すんなり進めない、ひねくれ者の自分もいるのかもしれない。
そんな自分を親のような目で温かく見守る自分もいるかもしれない。
こうあるべきだ、こうありたい…目指すのは良いけれど固執しすぎて
偏食というか、舞子になることもあるのかもしれない。
迷子と打とうとしたら舞子がでたが、確かに踊り子でもあるのかもしれない。
喜劇か悲劇か分からぬが、どちらにするのも自分自身なのかもしれない。
赤い靴を思い出した。一般的には悲劇的に捉えられがちだが
本当に踊りが大好きなら幸せなのかもしれない。
偏食で健康を崩さぬよう、悲劇も喜劇も、バランスよく見れるようになれるといいのかもしれない。
個人的に悲劇は苦手なハッピーエンド主義者だけれど、理解や尊重はできるようになりたい。
~だからとか、理由があっても否定しないで、まず存在を認める。
出来る限り自由が尊重される世界が理想なのかもしれない。
例え主義主張が違っても尊重するのを忘れなければ共存できるはずなのである。
食わず嫌いと同じで、中には意外な美味しいものもあるのかもしれない。
ウニだって、よく見ると見た目はアレだが、食べると美味しい(人によるが)
あのトゲトゲの中身が溶けるように柔かく美味しいのは人と同じかもしれない。
みんな荒波に傷ついて、トゲトゲに隠れて、いつしかそれが当たり前になって
本来の優しい味を、溶けて一体となるような美味しさを忘れてしまったのだ。
荒波は辛いかもしれない。上手く乗れてサーフィン出来る人にとっては楽しいが
そうでない者は、荒波に揉まれ飲まれて苦しく、どうにもできない無力感があるかもしれない。
けれど、いずれ穏やかなゆりかごのような時もあり、嘘のように静かな凪もくるだろう。
荒波を超えた先には美しい景色があるかもしれない。ないならつくればいいのだ。
天国でひとりぼっちより、地獄で気の会う仲間がいた方が希望があるような気がする。
結局世界をつくってるのは一人一人の想いなのだから。
可能性は多ければ多い程、世界が広がって楽しい嬉しい。
料理の具材が多ければ作れる料理の種類が増えるのと同じなのかもしれない。
メニューに究極の一品だけも良いかもしれないが、毎日それでは飽きるかも?他にもあると嬉しい。
たまには豪華なフルコースを味わいたい時もあるかもしれないだろうし。
…しかし早速、色々長々と、酔っぱらった文章になってしまい酒臭くて申し訳ないが
(自分でも野暮なことばかり言っていると思う。めんどくさくなってきた)
まとめると『酒は飲んでも呑まれるな』『荒波に揉まれても飲まれるな』
つまり自分を保ちつつ、必要に応じて臨機応変な柔軟さもあるのが理想なのかもしれない。
時には『清濁併せ呑む』度量の深さも必要なのだろう。
荒波に飲まれるなとは言ってるが、時には流れに身をまかす方が上手く行くこともあるだろう。
ググったら、丁度いい言葉があった。
『船は帆任せ帆は風任せ』と『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』だそうだ。
簡単に言うと、自分で出来る限りのことをやったら後は、自然にまかせるということか。
わけもわからず波に飲まれるのと、自分で先を読み判断し覚悟を決めて流されるのでは違うのだろう。
その見極めが凡人には難しく感じるのだが(苦笑)最初から何でも出来る超人赤ちゃんはそういない。
少しづつ一歩づつでも進めると良いなと気楽にゆるい気持ちを忘れないように出来たらなと思う。

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